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南宋・抗金英雄

こんにちは、しばいぬです。

今回は歴史について少し。

 

三国志関羽と並べられて神格化されている岳飛は、

救国の英雄として称えられました。

現代でも中国の歴史上の英雄と言えば、まず岳飛の名前が挙がるようです。

 

岳飛は農民の子として生まれました。

父親はすぐに亡くなったので母親の手により育てられますが、

識字能力は持っていました。

亡き父の「国に殉じて義の為に死ぬ」と言う教えを胸に、

若くして『春秋左氏伝』『孫子』『呉子』等の書物を読み、

様々な武芸を身に着け、左右いずれでも強弓を扱える文武両道の青年に育ちます。

1122年に、岳飛は兵隊の募集があったので、この時に軍人になりました。

1127年に、宋が金軍により滅ぼされて南宋が建国されると、

岳飛は宗澤という人物の配下になりました。

金軍は1134年に、「斉」という傀儡国家を山東省に建設しました。

中国の統治が難しいと考えた金軍は捕虜にした中国人に内地の統治を任せたのです。

 

岳飛は義兄弟達と起こした岳家軍を率いその後も大活躍。

斉軍を撃破、侯爵の位を授けられました。

南宋と金軍は停戦の合意を結びましたが、

1140年合意を破って南下してきた金軍と戦い岳飛はこれを打ち破ります。

北宋の首都奪還まで後一息のところまで追い詰めますが、

本国から執拗に帰還命令を出された為退却することに。

翌年和平派の宰相である秦檜によって無実の罪を着せられて処刑されました。39歳でした。

 

その背には母親によって彫られたとされる黥(入れ墨)「尽忠報国」の4文字があったといいます。

最後まで忠義と誠実さを貫いて散っていった人間的な美しさによってか、

現代に至るまで中国で最も有名な英雄として祀られています。

 

国や家族へ報いるという美談ですね。

 

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